1859年横浜開港とともに横浜(中区を中心に)は世界の文化の受け入れ窓口の役目を果たしてきたと同時に、かなりの間日本文化を世界に発信する街としてその役割を果たしてきた。
そのような伝統ある中区に住む私たちは何らかの形で、この地区を訪れる人に対し「手助けをしたい」との純粋な思いより明るいまちづくりのため「中区来訪者への道案内」をすることを思いついた。これは5年前から普段忙しくてボランテイア活動ができない人に呼び掛けて月1回山下公園海岸側歩道の清掃活動を行ってきた実績の上に立って、「チョットだけボランテア・プロジェクト」の一環として推進すべく準備を進めております。また2020年には首都圏でオリンピックが開催され多くの外国人が横浜を訪れることになりますので将来的には外国人訪問者にも十分対応できるようになるべく、メンバーの自己研鑽及び教育を考えております。
「道案内」といっても簡単なようでそんなに簡単ではないと思います。まず道案内として道路面に立つには自信が必要です。どんな質問が来るかわかりません。何を聞かれても答えられるとの自己確信がひつようです。そのためには横浜の歴史、いや日本近代化の歴史とそれが世界とどのような関係を持ったか、自分なりの信念のようなものを持つ必要があります。また中区や西区の地理的情勢、なぜそのようになったのかについての歴史的背景を自分なりに研究する必要があります。そうでないとただ方向を示すだけになり、将来はロボットでもできるでしょう。
人間らしい、心のこもった道案内にはそうした氷山下の分厚い勉強と真の愛がなくてはならないのです。したがって会員募集の条件として、横浜および中区の歴史およびその影響等について十分学習意欲のある人を望みます。また人間的に見て「無償の行為」の理解者、行える人を募集したいと思います。
また道案内の前に中区内をしっかり、指導者とともに歩くことが肝要です。
2015年7月10日 中区民クラブ 北村友雄
黒須和行氏より
今日は、行田市の古代蓮の写真を撮ってきました。古代蓮とは3000~1400程昔の種子で咲いた蓮です。蓮は咲き始めると4日しか持たない花です。
帰り道、昼食をした店で面白いものを読みました。福島・新潟地方の昔話の『笠地蔵』です。
昔は、爺さん・婆さんや親が子に話し聞かせになから人間形成をしたものだとつくづく思います。
この話はインターネットを引けば出てきます。多少の違いはあるものの、登場人物の『昔々ある所にいた爺さんと婆さん』の精神が正に、『おもてなし』の精神だと思います。ネットを引いて念のため読んでみてください。
難しいことでなく、子供に解る話しです。これが貴兄の進めるボランティアのバイブルになることと確信します。
北村友雄
素晴らしい蓮の花と虫の写真ありがとうございました。
笠地蔵の話はネットで見ました。
道案内は経験によると教えられた人が、本当に心より喜びます。またうれしそうに感謝の心を表します。それを見ていて教えた私も大いなる喜びをもらえます。そうした2つのうれしさが、ありがたい気持ちになります。
そんなわけでその互いの喜びを広めたいと思いやろうとしています。
黒須和行氏は、小学校から高校まで北村友雄氏の同級生、北村友雄氏は台湾が長く、黒須和行氏は中国に長くいらしたそうです。