杉島和三郎氏による勉強会

横浜の歴史を語る

元町自治運営会名誉顧問

杉島和三郎氏

 

 杉島氏は、横浜元町に生まれ育ち、幼少の頃に体験した元町でのさまざまな出来事をわかりやすく丁寧に説明してくださいました。

 

 こういう機会を与えていただくことはとても有意義であり、かつ元町の重鎮である杉島氏が語る言葉は重みもあり、とてもありがたいことと思います。

元町の過去・現在・未来

   

 元町自治運営会 名誉顧問 

杉島和三郎氏

1.元町の歴史概要
 ①1859年(安政6年)

開港と同時に堀川を掘削し港近傍の住民が元町に強制疎開される。

橋毎に関所を設置し出島状に外国人商館が関内に、住居が山手に、中間の元町が商業地になる。

 ②1868~1912年(明治時代)

度重なる火災発生があったが、リーダー主導で復興を遂げる。

 ③ 1923年(大正12年)

関東大震災

9月1日11時59分にM7.9

地震後に発生した火災のため被害が拡大し全町全滅した。

 ④ 1945年(昭和20年)

横浜大空襲

5月29日昼間アメリカ軍により横浜市中心地域に無差別爆撃を受け全町全滅した。

順次復興(駐留軍や家族が住む)

 ⑤ 1964年(昭和39年)

JR石川町駅開業

 ⑥ 1965年(昭和40年)

第1期まちづくり計画完成(壁面線後退)

 ⑦ 1984年(昭和59年)

高速道路横羽線開通

 ⑧ 1985年(昭和60年)

第2期まちづくり計画完成(電線地中化)

 ⑨ 2004年(平成16年)

みなとみらい新線開通

 ⑩ 2005年(平成17年) 第3期まちづくり計画完成(歩車道再整備)
 ⑪ 2007年(平成19年) 仲通り町並み整備計画完成(電柱民地移設・車道整備など)
 ⑫ 2008年(平成20年) 以降、共同配送・オアシスなどハード整備新捗中
2.元町の現況 
 ① 全戸数約900、商業者約35%、住民が約65%、商業地は夜間無人化の傾向
 ② 住民は少子高齢化、住民用日用品店舗が激減

 ③ 商業地と住民地の共生を旗印に下記各団体がまちづくり協議会を結成、まちづくり協定

  上記の街区整備、高速道路・みなとみらい新線誘致、交通対策、共同配送、福祉バスが実現


ジェラールの水屋敷

フォーラム環境塾運営委員長

 杉島 和三郎

 

1 はじめに

 1859年(安政6)の横浜開港後は多くの外国人が横浜で貿易などに活躍しているが、フランス人のアルフッレド ジェラール(以下ジェラールと略す)もその中の一人で、1863年(文久3)に来日し筆者の住む横浜元町で給水事業を開始している。そのジェラールは2015年が没後100年にあたるので、横浜で有線ケーブルTVを展開しているYOUテレビが記念番組を企画し、筆者も元町の語り部の一人としてお手伝いをした。

 演出担当の高科英昭さんは職業とは云え、頼りない筆者の史実などの説明を整理され、安井千紘レポターのリードで筆者ほか地元の方にも出演願い、写真のとおり「ジェラールの水屋敷と西洋瓦」のタイトルで30分番組を製作し9月一杯放映された。なお「水屋敷」の名は幼い時から聞いてはいたが、当時は説明版もなく謎めいた場所であったのである。

 しかし 2000年(平成12)に横浜市が屋敷跡を含む元町公園が整備し、説明版も設置されて公園と共に市民の憩いの場所となったので、放映の概要を述べて読者諸兄をご案内し本稿のつぶやきとしたい。

 

2 放映された「ジェラールの水屋敷の概要

 ジェラールはフランスのパリから北東約135kmのシャンパニュ地方の、周囲が20kmのワインの生産が盛んなランスに1837年(天保8)に生まれた。ランス地方の葡萄畑は石灰質が多く葡萄を絞ったジュースに糖分を加えて発酵ワインを作っていたが、ジェラールは有機肥料の活用を考へ、煉瓦構造の二層式堆肥貯槽を設置して葡萄畑の肥料に利用し、泡立つシャンペーンを製造することに成功した。いわゆるバイオ技術利用のコンポストを先進的に導入したので、以下にシナリオの3章に従って放映を眺めて見たい。

 

① 給水事業への取組み

 横浜は地名のとおり東京湾に面し現在の中心市街地は入江で地下水は塩分が多かった。そこで丘陵地帯の湧水を桶に入れ天秤棒を担いだ水売り人から一般人は買い求めていた。しかし外国船が多く入港すると大量で良質の水が必要であることにジェラールが着目し、横浜の港近くの丘陵地帯の豊かな湧水を利用し、かつ港が近くて輸送コストに有利な元町が選ばれたのであった。

 湧水はフランスの有機肥料発酵槽の構造を取り入れ、丘の中腹に煉瓦構造の長さ17・5m×幅6・6m×深さ2・5mの上部貯水槽で取水し、水位が約1・5mに達すると約10mの下にある長さ17・6m×幅6・5m×深さ2・5mで、面積114㎡の下部貯水槽(国の登録文化財)にオーバーフローさせる構造となっていた。

下部貯水槽からは需要に応じて約200m隔てた横浜港に直結する堀川にパイプを敷設、小型船で外航船などに水を輸送する形式としたが、インド洋を越えても美味しい水と評判をとったと言い伝えられている。前述の公園再整備の際には地下6mに埋設されている上部貯水槽の調査に潜った想い出であるが、1930年(昭和5)にはその近傍に湧水を利用した元町プールが建設され、冷たい水のプールで有名であった。

 

② ジェラール瓦

 ジェラールは給水事業に続いて、元町公園上部の山手居留地に建設された外国人用洋館の瓦製造事業に取り組んでいる。瓦は古くから日本でも手籠めで製造されていたが、ジェラールは産業革命で発達した蒸気動力で押出機や型込機を利用する近代化に成功し、GERARD‘S STEAM TILE AND BRICK WORKの工場名で、給水施設近傍でフランス瓦を大量生産して、横浜の洋館用のほか大山巌邸・工部大学などにも利用されていた。

 しかし日本の業者がフランス瓦の模造品を製作し、1880年(明治30)には注意喚起を、1907(明治40)には止む無く工場売却が新聞広告され、やがて故郷のフランスに帰国している。なお旧工場跡地近くには製造過程の不良品が付近に埋め立てられ、ジェラール瓦と刻印された破損品に出会うことができる。

 なお元町公園再整備の際には前述の給水事業の歴史的説明版と共に、山手の洋館で不要となったジェラール瓦を集めて元町プール管理棟の屋根に葺き、立派な説明版も設置してある。以上の史実はジェラール瓦の研究に詳しい横浜市都市発展記念館の青木祐介主任調査研究員がTVに登場され、造詣の深いお話を聞くことができ勉強になった。

 

③ ジェラール故郷に帰る

 水道の近代化や前述のフランス瓦の模造品の出現で、ジェラールはフランスに帰国しているが、日本への郷愁は強いものがあったようでランスにジェラール財団を創立し、日本の人形など美術品2,500点を寄付している。またランスにはジェラール通の街路名もあり、ランス郊外のジェラールの墓地には鳥居と日本文字が刻まれた墓碑があって、日本への熱い思いをご親族や市民が抱いていることが分かる。

 これらの史実はドイツのデッセルドルフに社用で駐在された成田良幹さんが、ジェラールの業績に興味を抱いてフランスのランスに赴き、各種調査をされて帰国し元町に在住されていたので、詳細な資料をもとにTVに出演され改めて新しい知識を得ることができて感激したのであった。

 

3 おわりに

 ところで行政の所掌官庁は水道が厚生労働省、廃棄物が環境省であるが、以前は水道と廃棄物共に厚生省の時代が長く、行政官の多くは両事業の移動する時代が多かった。ジェラールは水事業の貯槽にフランスで採用した有機肥料用の煉瓦製堆肥槽を利用するなど、本シリーズに縁が深いと感じたのが本稿で取り上げた動機である。

 しかし30分の放映の詳細を述べることができず申し訳ないが、横浜元町に足を運んでジェラールの業績を偲び、帰りには元町のフレンチレストラン霧笛楼で、ジェラール瓦のケーキと独占販売のジェラールビールを味わって癒されることをお奨めしたい。霧笛楼の宣伝めいたが、鈴木信晴社長も出演され、薀蓄高い説明を頂いたのでお許し願いたい。

 なおYOUテレビ局は横浜の歴史を掘り起こす番組を、横浜ミストリーと名付けて2ヵ月毎に放映しており、筆者も既に「元町の家具」や「横浜のパンの発祥」などに出演していることを付記し筆を措きたい。

 

NO.67 アブストラクト

 横浜開港直後に多くの外国人が西洋文化を持ち込んで活躍したが、その中にフランス人のジェラールがいる。彼は横浜元町で湧水の船舶給水事業に成功し、次に西洋館用屋根瓦を蒸気動力利用で大量生産する工場も建設している。その後フランスに帰国したが、日本への郷愁が強く財団を立上げ日本の美術品を寄付し、また墓地には鳥居を建て日本語を刻んだ墓碑の下で眠る程の親日家であった。

 今年はジェラール没後100年で、横浜のYOUテレビが記念番組を企画し、筆者も語り部のお手伝いと出演をしたので概要を紹介する。